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2011年04月13日

サンアイ・イソバ

サンアイ・イソバ

ティンダバナの登り口にある案内板は、
誰もが立ち止まって読むもの。
サンアイ・イソバ
案内板には、次のように書かれている。
 ティンダバナに続く南の傾斜面には、与那国島の英雄の一人
 【サンアイ・イソバ】が出生した【古邑サンアイ村】が立地し、
 彼女にまつわる旧跡も多く残されている。彼女は、16世紀の
 末頃に与那国島に君臨した女酋とされる人物であるが、
 巨体で剛力の持ち主であったといわれ、政治をよくし島人から
 尊崇を集めたと語り伝えられている。
 沖縄県教育委員会・与那国町教育委員会

サンアイ・イソバ
サンアイ・イソバ

初めて読んだ時に、
「女酋サンアイ・イソバ」とはどのような人なのか。
「古邑サンアイ村」はどこにあるのか。
という疑問が残った。

居酒屋の泡盛で上機嫌になった私は、この疑問を
隣りに座る知り合ったばかりの地元の方に質問した。

「聞いたことはあるが。よくは。。。わからんね~」

翌日偶然、タクシーの運転手さんに、
サンアイ村イソバ酋長の屋敷跡への道筋を教えてもらった。

バイクに乗り、祖納から製糖工場を過ぎ比川へ抜ける幹線道路の
坂道を登りきり、左折して未舗装の農道に入る。
少し走ると「マイヌトゥニ(前のトゥニ)」の立て札と出会った。
サンアイ・イソバ
サンアイ・イソバ

鬱蒼とした樹木が茂り、そこが神域の杜であることはすぐに判る。
サンアイ・イソバ
サンアイ・イソバ

島仲村遺跡になっている一帯は、平坦な農地が広がつており、
サンアイ・イソバが統治した当時も、農耕が盛んであったことが
容易に推測できる。
巨人イソバが行き来したと伝えられる「ティンダバナ」までは、
この村から遠くはない。

イソバが履いていたであろうと想像して作られた「大草鞋」が、
飾ってあった。
池間苗さんが楽しそうに紹介して下さった。
サンアイ・イソバ
与那国には昔、外敵の襲来が多く大草鞋を作って海に流し、
島に巨人がいると思わせたという伝承がある。

「与那国の歴史」のサンアイ・イソバの項(page77)には、
「島仲村は、サンアイ村とナウンニ村との合併によって出来た村で、
ナウンニ村のトニ(島の根所)は友利家の屋敷跡にある。」
とある。
友利家の屋敷跡には古井戸が残っているという。
通りがかった畑の中に古井戸があった。
この古井戸がイソバ時代から在ったのかは、もちろん定かではない。
サンアイ・イソバ
サンアイ・イソバ

また、同じ項で、ドナンバラ村(南帆安)、ダディグ村(屋手久)、
ティバル村(手原)の説明があり、島の遺跡への興味が高まる。
サンアイ・イソバ

「マイヌトゥニ」は、正方形に近い石垣で囲まれ、霊石に面して開口している。
サンアイ・イソバ
「ンマナガマチリ(島仲祭り)」は、「マイヌトゥニ(前の刀祢)」と
「ツイヌトゥニ(後の刀祢)」で、五穀豊穣を祈願して行われる。
サンアイ・イソバ
サンアイ・イソバ
サンアイ・イソバ
サンアイ・イソバ

島仲祭り(平成15年1月9日)の体験レポートがある。
http://naha.cool.ne.jp/nanao320/machiri/machiri-2.htm

また、島仲祭りの様子は、下記のURLが参考になる。
http://www.chiiki.asafas.kyoto-u.ac.jp/gallery/search.php?ageid=14&page=2

与那国島の祭事にどのようなものがあるかは、
「与那国民族資料館」のブログに説明があり、一部を引用させてもらう。
  http://ameblo.jp/ikemar001/archive4-200705.html#main
●村祭(マチリ)
マチリの日取りは 旧10月 11月中に決められ
期間は25日間(カンブナガ)で、島民は四足動物の殺生禁止され
祈願人は獣肉を摂らない。この月をカンヌティ(神の月)と言う。
この間次の5箇所のトニ(刀祢)で祈願が行われる。

【クブラ マチリ】
  旧10月 11月の第一庚申(かのえさる)の日に
 旧久部良村の刀祢で行う。海賊退散の祈願である。

【ウラ マチリ】
 クブラ マチリの翌日 辛酉(かのととり)の日に
 旧ソナイ村の刀祢で行う。牛馬繁殖の祈願である。

【ンデ マチリ】
  ウラ マチリ後の甲子(きのえね)の日に
 旧ヒナイ村の刀祢で行う。結婚 家庭円満の祈願である。

【ンマナガ マチリ】
  ンデ マチリ後の壬午(みずのえうま)の日に
 ナウンニ村(前村)及びサンアイ村(後村)の刀祢で行う。
 五穀豊穣の祈願である。

【ンダン マチリ】
  ンマナガ マチリの翌日 癸未(みずのとひつじ)の日に
 ドゥナンバラ村の刀祢とドゥナンバラ按司夫人の墓所 ミドド山で行う。
 海上安泰の祈願である。

「マチリの過程」は、こちらが参考になる。
http://www.chiiki.asafas.kyoto-u.ac.jp/gallery/map/index5.html

与那国町史には、先人の「自主独立魂」が満ち溢れている。

与那国町は、平成9年に写真集「どぅなんの100年」を発行し、
続いて平成14年に、町史第1巻「どぅなんちまの地名と風土」、
平成22年には、町史第2巻「民俗編」を発行した。

平成7年の町史編さん委員会設置から「民俗編」完成まで15年を
費やした傑作である。

サンアイ・イソバ
サンアイ・イソバ
サンアイ・イソバ

日本の中のもうひとつの「国」に、10日間滞在した。
イソバの「自主独立魂」が、今も生き続けていると信じたい。

参考資料
・池間栄三,与那国の歴史(1999)
・大城學,沖縄県立博物館総合調査報告書(1989)
・与那国町史編纂委員会事務局編,町史,第2巻,民俗編(2010)

サンアイ・イソバ



Posted by arika1000 at 11:46